一病息災・米寿まであと52年。

過去にMi−2抗体陽性の多発性筋炎と相成りました。が!奇跡の双子妊娠!そして待ち受ける試練…

まさかの29週4日


先週金曜日のお腹


26週で切迫早産になった私。

何度も出血を繰り返しながら臓器が成熟する34週、ないし障害リスクが5%未満になる32週を目指していましたが30週を目前に連休明けのまだ薄暗い早朝に3度目の大出血をしてしまい大変な騒ぎに。

助産師さんたちは直ぐにでも緊急オペかと思ったらしく凄いキビキビとオペの用意を私に施してくれましたが、幸いにも週明け平日の朝ということもありもう数時間もすれば産婦人科、麻酔科、小児科全てのスタッフが複数人揃うというので待機判断がでました。

でも、途中私は呼吸困難でドラマのように音や視覚が遠のくというを体験したのですが。


サツキちゃん、メイちゃんを送迎した旦那さんと、遠方から実母がギリギリ間にあいオペ室に運ばれていく私とお別れしました。


想像を絶するオペ

双子の赤ちゃんたちは早々に取り出されたのですが、その後私は気を失うほどの出血で大変長丁場な手術が行われたそうで、もしも大きな病院に入院してなければ確実死んでいたかもしれません状態だったそうです。

事実、現在私の体内にある2/3の血が輸血によるものです。


普通、緊急出産だと麻酔科の先生が足りずオペ用の麻酔しかないそうなんですが術後の麻酔も入れてもらえたのは幸運でした。週明けに産めたのは不幸中の幸い。

帝王切開だと翌日には歩けと言われるのが常ですが、貧血が酷く流石に私は一日先延ばしになったようです。

できる限りベッドの上で身体をずらすなどを頑張りました。

つわり前後の様子と姉妹たち②

辛い(´;ω;`)

点滴が痛い…

血管が細い上に脂肪が多くて探しにくいのだろうけど、どの看護師さんもお手上げの両腕。終いにはとんでもないとこに入れられ腕の曲げ伸ばしもままならない…


週明けまで主治医に訴えもできずこのまま…

なんで今回はしかも三連休なんだ(´;ω;`)


さて、泣き言のあとですが、ここ半年の姉妹たちについてざっくりと。


サツキちゃんは、旦那さんの強制のもと逞しく逞しくなって年長さんで3キロジョギングするように…

因みにこのオレンジのジョギングシューズは旦那さんとお揃いです。

しかも卒園記念と言って、旦那さんがしまなみ海道をこの自転車で今治城から尾道駅まで3日で完走させたという…

※旦那さんは並走してジョギングしました。

※私とメイちゃんは車で観光しながら途中落ち合ったりです。

いつの間にか、サツキちゃんは泣きながら根性で這い上がる系に…


メイちゃん、これは非常に甘えたマイペースです。保育園では4月生まれで一番上のお姉さんだからかしっかりしてますと言われても、どうしてもサツキちゃんとの差があると見えてしまう母目線ですが、下の子はこれくらいがめちゃくちゃ可愛い。

下の子の性でしょうか?

非常に周囲をよく観察してます。

サツキちゃんが叱られてるときには気配もなく難を逃れ遠く離れたところから息を潜めてこちらを伺う様子とか見てると、ある意味安心します(笑)優れた判断力かと。

私の悪阻が治まった頃から、読み書きソロバンの読みを始めました。

およそ3ヶ月。ようやく平仮名の読みは卒業できそうです。最近は自分で絵本を声に出して読むようになったみたいです。


入院する前にやっておいて、間に合って良かったなあと思うことはただ一つ。

そう、七五三!のお写真。

お参りはもう旦那さんに任せます…

某チェーン店のスタジオにて。

いつもお世話になっている地元の写真館には申し訳ないのですが、兄弟姉妹で何着着ても同じ料金には負けました。サツキちゃんが着飾ったらメイちゃんが不機嫌になるの目に見えてるもん(;´д`)…

サツキちゃんの赤の着物は私が30年前に着たものです。私の亡くなった母方の祖母が一から誂えてくれたものだそう。

古臭いかと思ったら、やはりええものは時代を超えて良かったので改めて祖母に感謝しました。

※30年前の私…サツキちゃんにどことなく似てる?


持ち込みOKな上に、モダン和装も着せてやれ、サツキちゃんは憧れの傘もさせてよろこんでいました。古風なお着物も良いですが現代風のもいいですよね。

更にドレス!

こちらは姉妹でテンション上がってました。

てんでバラバラのドレスを選んだかと思えば案外同じ系統で纏まってたので感心した母です。好みも似てるのかな?


奇しくも数えで姉妹は7歳、5歳。

素敵な七五三になりました。

私がお腹大きくなければジジババたちも呼んでこんな可愛い姿を一緒に見たかったのだけどなあ…

しっかり姉妹の幸せそうな姿を目に焼き付けました。サツキちゃん、メイちゃん、ありがとう。君たちの幸せな成長が私の喜びです。

つわり前後の様子と姉妹たち①

アイコンこちらに変えようかな…
またもや入院中に完成した刺繍。あれ以来してなかったんですが、なんとなく覚えてるもんですね。刺繍歴前回と合わせて1ヶ月…次に引っ張り出すのは何年後何十年後だろう?
もう入院を機にはしたくないなあ…


さて、今回は悪阻も前後の私とサツキちゃんメイちゃん姉妹の成長を振り返ります。



あれから2年…2人は新1年生と年少さんへと上がりました。この写真は真新しいランドセルとサツキちゃんが着ていたセーラーを着せて近所の公園で前撮りしたものです。いやはや、あのチビちゃんたちが大きくなりましたヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。


そして、この直後、私は己の妊娠を悟るのです…
妊活してたとはいえ喜びつかぬ間、不穏なこれまでに体感したことない悪阻が私を襲ったのです。
私もこんなできたと分かった1ヶ月やそこらで職場に言うのもどうかと思ったのですが、経験があるだけに嫌な予感しかしません。サツキちゃんがお腹にいるときはゲロ袋持参で授業してましたが、メイちゃんのときは主治医の一筆で休み休み出勤…でも今回これはおかしいというレベルで始まった体調不良。奇しくも新学期、来週から授業開始という時です。教科主任に私はいないものとして早急に対策してもらえるよう大袈裟にお願いに上がりました。学校側も臨時雇いに動いてくれたのはタイミング的にセーフでした。
そして、4月の中旬から6月の中旬まで私は季節を失い、トイレに毛布を持ち込み牛乳を胃液の中和剤代わりに飲んでは吐くを繰り返し、一時は悪阻のため入院するほどの壮絶な悪阻を経験することに…
この時の入院中でした。5月のゴールデンウィーク…主治医が診察して


「こりゃ、双子やな、それも一卵性の。つわり酷いのもこのせいかなあ…」


(✽ ゚д゚ ✽)え?は?え?え?はああーーー!


一瞬、悪阻どころでなくなりました。
一瞬だけね。
気持ち悪いものは気持ち悪いし、臭い悪阻、吐きづわり、食べづわりなどありとあらゆる悪阻がドッキングした悪阻だったので。


私は喜びよりも、
え?四人兄弟?四姉妹? 
家計は?家狭?
2人?2人ってどうやって育てるの?
なんでも2倍揃えるの?
上の子たちの養育が…
とか、現実が襲いかかってパニックでした。しょうもない母親です。


そんな中、ワンオペしてくれてた旦那さんに混乱するまま電話すると…


「なにそれ!めっちゃオモロイやん!」
「車買い換えな!」


と、電話を切られ、マジでその後娘たちとディーラー巡りしたルンルンの旦那…


呆れるんですが…でも本当にこの人と結婚できて良かったなあと思いました。
私の思考回路がお粗末過ぎるから、余計そう思った次第です。
私がダメ母でもお父ちゃんやお姉ちゃんたちが素敵だからきっとこの双子たちは幸せに暮らせるよね。
この旦那さんとなら子供4人もバチコイだ!
悪阻でしんどい中、少しだけ嬉しくなった出来事でした。


ちなみに、この夏、我が家にそれまで乗っていた外車のもう一つ上の7人乗りの新車がやってきました…それ、サツキちゃんが生まれるときに「コッチにしようよ!」と私が言ってやつやん。なんでこうなったし…